或るトポロジストの回想

小さなコトを大きくカク

コロナ対応のこれまで②

コロナ対応に関わる振り返りの二編目。

2月から4月までの振り返りである。

 

 

 

 

 

今回のコロナ騒動に関して、まず日本におけるターニングポイントとなった事案とそれに対する自分なりの評価を考えてみたい。

 

当時は世間的に問題だと思われていた現象も後々見てみると杞憂であったというパターンがあるのではないか。

またその逆で、当時は気に求めていなかったことが後々に重大な意味を孕んだ事象として再認識されるようになったというパターンもあろう。

このあたりの時間差による認識のズレについてまとめておくのも大事ではないかと思う。

 

一応、時系列で考えてみる。

出典はなるべく配慮するが、世論の雰囲気とかは別にデータがあるわけではないので、「当時はこんな雰囲気が世間には漂っていたよね」くらいのファクトチェックで片付けてしまうこともあるので留意願いたい。

 

 

 

ダイヤモンドプリンセスと集団感染

 

これは当時の日本や世界から少なからず注目を浴びることとなった出来事だ。

 

ダイヤモンドプリンセスの中で集団感染が確認されたのは横浜港に停泊する直前であった。クルーズ船が横浜に到着したのは2月3日のことである。

密室的な状況で感染が拡大しているという稀有な状況下で、自衛隊をはじめとする日本の感染症への対応力が求められた。

当時は船内における危機対応について様々な意見や批判が起こっていた(感染症の専門家と言われている人が半ば勝手に情報発信して現場を乱すなどもあった)

 

今回の件で亡くなった方も多くいたが、全体的にはクルーズ船の状況をコントロールしながら感染症に対応していたのだろうと考えられる。

この経験が生かされているのか、この後の自衛隊の病院では院内感染は全く起こっていない。

 

一方で、今回の件で新型肺炎の持つ特性がある程度掴めていたのではないかと思う。残念なのは、それがオフィシャルな形のレポートとして世間に広まらなかったために「正しく恐れて対応する」という国民や病院運営の方針が早期に共有されなかったことである。

もしかしたら全国の病院施設には内々に連絡がいっていたのかもしれないが、介護施設などでの院内感染事例が多発している現状を見るに、周知が徹底されていたと言い難い。

 

この時期における日本国内の反応としては、まだ市中感染はほとんど広まっておらず、クルーズ船での出来事もどこか他人事、対岸の火事くらいに考えていた節がある。

中国からの渡航や帰国などに制限はかけられ始めていたが、その他の国からの受入制限については国もそこまで真剣に議論していなかったと思われる。

今回のクルーズ船のことにより「水際対策の徹底」が叫ばれてはいたが、結局のところ厳しい入国措置などは行われなかった。事態を甘く見ていたと言える。

 

今後、2月3月の中旬までは特に大きな動向もなく推移することとなる。ただし、全国で単発的に感染者が発見されるなど、少しずつ感染が全国に広がり始めていることがわかってきていた。

 

 

3月の三連休前後

 

一つのターニングポイントになるのがこの時期である。3月の三連休とは、春分の日を含む3月20日から22日のこと言う。

例年、この時期は送迎シーズンにあたる。そのため、学生などは卒業旅行という形で欧米、東南アジアなどに旅行して帰国する時期にあたる。

主にヨーロッパで感染した学生や旅行者が送迎会シーズンの飲み会などでスーパースプレッダーの役割を果たしたと言う見方が支配的である。

以下Wkipedia*1

  • 3月23日、70代の会社経営者の男性とその妻が青森県で初めての感染者と確認された[102]。男性は9日から15日にかけてスペインを観光で訪れており、帰国後に妻に感染した可能性が高いとみられている[102]
  • 3月26日、イギリス在住の会社役員の女性が23日に日本に帰国後、鹿児島県で初めての感染者と確認された[104]

 

このほか大学生がスーパースプレッダーとなった事例もあり、日本国内の感染爆発の最大要因は、このような三密状況下における親密な人との会話によるものである可能性が非常に大きい。

これは中国人旅行客が日本に持ち込んだ第一波の状況と大きく異なる。結局のところ、中国人旅行客と日本人の交流はほとんど存在しておらず、これが感染爆発の引き金となることはなかった。

 

ここに政府としての初期対応に最大のミスがあったと考える。感染拡大を防ぐには、中国からの旅行客の入国制限をするのではなく、海外から国内に入ってきた日本人旅行者こそ追跡していくべきであったと言える。もちろんこれは「人権がー」と叫ぶ中途半端な日本人の人権的な配慮があるせいで法的に実行するのは困難なのだが。

それでも、お願いベースでもいいから何かアクションを起こすべきであった政府が何も対応しなかったのはまずかったと言わざるを得ない。

 

また、気候的に見ても運が悪かったと言えるかもしれない。今年は暖冬の影響もあり、桜の開花が史上最速になった(3月14日)。これにより、三連休期間中は花見が全国各地で催され、感染拡大の一因になったと言えるであろう。

 

いずれにせよ、この三連休における日本人の警戒感の緩みから、国内感染者数が一気に増えていくこととなる。

 

 

著名人の死亡例

 

志村けんさんが集中治療室に入り、ECMOを用いた最善の処置が施されていたにもかかわらず亡くなった今回の出来事は、非常に大きな衝撃とともに日本人に影響を与えた事案であったと言える。

これにより、一時は気の緩みが生じた日本人が再びこの新型肺炎の恐ろしさを過学習することになる。(ただ、志村けんさんの生活習慣を考えると死亡に至る可能性は非常に高かったと言う点は付け加えておきたい)

 

また、これと期を同じくして緊急事態宣言・ロックダウンといったワードが官邸周辺でささやかれるようになる。

 

 

感染爆発の重大局面

 

4月7日に政府から緊急事態宣言が発令された。発令タイミングの是非は難しいので、ここでは詳細な議論はしないことにしたい。

それ以上にこの時期において問題視されていたのは、医療体制が逼迫しているにもかかわらず、政府側から具体的な対策(病床をはじめとする医療資源の拡充、医療体制の構築など)が出されていなかったことである。

3月といえばイタリアをはじめとして、欧州各地で医療崩壊が起こり始めていたタイミングである。今回の新型肺炎で最も憂慮すべき事態は主に二つある。「医療崩壊」と「経済打撃」だ。このうちの一つ目が起こっていた時期である。日本政府としては第一にこの感染拡大を防ぐ方策を執り行い、「時間的余裕を生み出」して、その時間を医療崩壊の対策に回すべきであった。

もちろん、これは多かれ少なかれ行われているのであろうとは思うが、日本医師会からの指摘*2もあったように、政府のケアは遅かったと言わざるを得ない。

ダイヤモンドプリンセスの話にも繋がることであるが、医療体制の構築について横串を通した対策委員会があるべきであったと思われる。有益で整理された情報の共有が遅れ、それにより統一的な対策ができていなかったこと、これが一つの問題であったと言える。

 

とまぁ、一つの方策としての緊急事態宣言が発令されたわけではあるが、正直なところタイミングとしては遅かった、と言うのが妥当なのかもしれない。

 

いずれにせよ、お願いベースでの活動自粛が本格的に始まり、テレワークや飲食店を避けるなどの動きが始まることとなった。これが後々問題になってくることとなる。

 

 

経済打撃

 

お願いベースとはいえ、そこは日本人である。本当に朝の通勤ラッシュが無くなるなど、4月は町から人の気配が減り始めた。ほとんどすべての人がマスクを着用するなど、「挙国一致」の感染対策が行われていた。

1日あたりの感染者数がすぐさま減少に転じるということはなかったが、多くの業種で休業などが行われ、仕事ベースでも人との交流は減少していた。

この時期から医療現場の困難が度々報じられるようになってきたが、「医療崩壊一歩手前」と言う煽り文句は何度も登場したものの、実際に医療崩壊が起こったのかどうかは謎である。おそらく、5月に入ってから医療関係の報道がほとんどなくなった状況を鑑みると医療崩壊は起こっていないのではないかと思う。

病床数に関するデータはこちらのサイトから確認できるのチェックしてもらえれば良いが、思った以上に深刻な状態には陥らなかったのであろう。日本の優秀な医療従事者のおかげであると言える。頭が上がらない。

COVID-19 Japan - 新型コロナウイルス対策ダッシュボード #StopCOVID19JP

 

と言うわけで、二つの大問題のうち「医療崩壊」の方は一時的に乗り越えたと言えるであろう。それでは、「経済打撃」の方はどうか。

ここに関しては相当に政府を批判しないといけないように思う。感染爆発の抑止を行うためにいは、活動自粛などに見られるように、必然的に経済の停止を行うほかはない。そうなるとどうなるか。失業者が現れて経済的に困窮する人々が急増することは明らかだったはずである。

「経済を止めるかわりに、手厚い保護をせよ」という主張は至極当然である。日本政府は感染症の初期対応に遅れただけでなく、この経済対策における初期対応に関しても遅れを取ったと言わざるを得ない。

特に3月における対策活動が大事だったはずである。せっかく他国より時間的な余裕があったのにもかかわらず、医療と経済と言う両軸のバランスをとるための対策案が考えられていなかったことがその後の対応をすべてゴテゴテにした要因と言える。

 

この三月期はまだオリンピックを開催しようと躍起になっていた時期であり、これが政府の対応を遅らせたと言う面は少なからずあるであろう。もっと言うと、先に日本がオリンピックを辞めると言い出すと他国から非難されるから、他国の感染状況が悪化して、世界的に見ても開催は困難という世界レベルでのコンセンサスが取れるまでは粘っていた、と言うほうが事実に近いかもしれない。

そうだとしても、水面下では国内の対策案を考えていなければならなかったと思う。

 

さて、経済打撃であるが、これは飲食業を中心に接客を伴う業種で深刻である。「5月までで限界」と言うインタビューが、4月後半のニュースに見られる傾向が強くなった。また接客業に限らず多くの中小企業で破産の気配が漂い出しているのも事実である。

帝国データバンクの情報によれば、この状況が半年続くと、今年の11月くらいには日本の企業のうち最大60パーセントが倒産かそれに近い状況に陥ると言う試算を出している。これは衝撃的な数値である。

そこで、政府から行われている経済対策だが、個人事業主に対しては最大100万円の補助が出ている。個人にも、一人当たり現金10万円の給付が確定している。

 

しかし、経済的に逼迫している人が多く出ている中で、その対応はあまりにも遅いと言わざるを得ない。基本的に各自治体の窓口に作業をすべて委託しているのもどうかと思う。もっとトップダウン式に統一的かつ迅速に現金給付できないのはなぜなのか。総務省は何のためにマイナンバーカードを作ったのか。システム改修のプロは、政府にいないのか。いろいろとお粗末であると文句を言いたくなるような点が多い。

 

 

 

 

そして5月に入り、日本は緊急事態宣言を一部継続の方針を表した。

また、昨日の感染者数は東京で10人と、ここまでの減少傾向の流れを見ると新たな段階に突入したのではないか思われる数値になった。

 

ここまで政府対応が遅すぎるだの何だのいろいろ書いてしまったが、いよいよ次回はこれからと現状を踏まえて今後どのような対応を取るべきなのか、どんな評価項目を設けてこの国を再生に向けてコントロールしていくのか、と言うことについて考えてみたい。