或るトポロジストの回想

小さなコトを大きくカク

中欧旅行記〜プラハ 3

 

ヴルタヴァ川からの夜風に当たった後は、予約していた宿へと歩みを進めた。デコボコした石畳の道に四苦八苦しながらトランクを運んでいると、ヤンフス広場に到着した。

 

 

昼間のプラハで最も活気あふれると言われているこの旧市街広場だが、夜は夜らしく穏やかにライトアップされていた。ベンチに座っておしゃべりに興じる人、闇夜に向かって伸びるディーン教会にカメラを向けてはしゃぐ旅行者など、人影もちらほら見えた。

 

スマホに登録しておいた宿の住所を頼りに広場を見渡してみるが、広場から伸びる道はどれも細くて薄暗く、その先に人気(ひとけ)があるようにはとても思えなかった。

駅で遭遇したスリの件もあり、少し広場を後にするのを躊躇われたが、そうも言ってはいられないので意を決して路地の一つに足を踏み入れた。

 

やはり路地の道は細く、先の方は曲がりくねり見通しが悪い。道の両側にそそりたつ建物には窓の明かりもほとんどない。あるのは、怪しげなネオンの光を店頭に構えている若者向けのバーだけである。その店も、通り過ぎざまに一瞥してみたが、店内は薄暗く、飲んだくれた若者たちがいるようには思えなかった。向かいから歩いてく人影もおらず、僕は思わず地図を二度見してしまった。「本当にこんなところに宿があるのか?」

 

僕がこの旅で利用しているのは、もちろん学生さん御用達のユースホステルである。苦学生1人の旅行でまさかいいホテルに泊まるわけにもいかないし、それは金銭的にも無理な話であった。プラハでは「Hostel Prague Tyn」というホステルでやり過ごす予定でいた。

 

十数分、暗い路地でうろついた後、それらしきアーケードを潜り抜けて建物に囲まれた敷地内に入ると、お目当てのホステルの入り口が見つかった。

呼び鈴を鳴らして管理人さんに入り口を開けてもらい、拙い英語で僕の名前や予約内容について話した。管理人さんも笑顔で対応してくれたので少し安心した。部屋のキーをもらって案内された部屋に入った。

 

ユースホステルは汚い、臭いというイメージがあったが、ここは少なくとも見た目の上では非常に清潔で、鼻をつく嫌な臭いも特にはなかった。ただ、ユースホステルユースホステルである。寝室は基本的に共用だ。自分も含めてこの部屋には8人の苦学生が宿泊予定だった。安さには理由がある、というわけだ。

 

部屋にはいると、誰も使ってなさそうなベッドを確保し、自分の(盗まれても構わないもの)を広げる。ここが自分のベッドだぞ、と一応自己主張しておく。貴重品などは金庫に入れた(セキュリティは大変疑問である)。

ルームメイトはだいたいみんな眠りについており、部屋も暗く保たれていた。音を出すのも申し訳なかったので、静かに部屋を後にし、とりあえず指定のシャワールームで長旅の疲れを水に流した。しばらく夜風に当たって明日の予定はどうしようかと思案してから、再び部屋に戻り、タイマーをセットしてそのまま眠りについた。

 

 

 

旅行初日あるあるだとは思うが、僕みたいに少し神経質な性格の人間には物事が予定通りに進むかどうかというのはメンタルの安寧に関わってくる問題である。次の日も行動が早いのでタイマーは6:30にセットしていたが、逆にこの時間が気になってしまい夜中の間、しばしば目が覚めてしまうことがあった。

 

また、比較的に高緯度の地域である。朝がしらけるのが非常に早い。「なんか明るいな」と思って時計を確認しても4:00というのはザラにある。そして明るさのせいで二度寝したくともできないのだ。最初の夜の僕は完全にこの状態であった。神経すり減らしてプラハ についた上に夜も休まれないのはなんか辛い。

 

いまいち快眠ができなかった気分のまま体起こし、次の日の行動へとうつった。入れ替わりで夜遊びから帰宅してきたブラジル人が何も言わず布団にダイブした。なるほど、海外の若者はこうして旅先で夜を謳歌するのかと、文化の違いに思いを馳せたのも束の間、僕には僕の予定がある。軽装で歩き回る準備をしなければ。

昨晩の経験から、プラハ街道はかなり歩きづらい石畳であることがわかった。ゴロゴロなトランクはもちろんのこと、歩き回ること自体があまり向かないものと思われる。なるべく手持ちの量は抑えるべきだと思った。

 

折り畳み傘などの最低限の携行品をピックアップし、宿を後にした。

 

 

いよいよ本格的なプラハ観光の始まりである。

東の空には朝日が昇り、雲の切れ間から光を伸ばしている。ディーン教会の塔の先端に朝日が当たり始めていた。

 

 

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