或るトポロジストの回想

小さなコトを大きくカク

コロナ禍と回想

まず、なぜ急にブログを書き始めることにしたのか?という問いに答えたいと思う。

 

 

まぁ、単刀直入に言ってしまうと「等身大の自分、今の自分の素直な思いを言葉で書き記しておきたい」からだ。

 

 

この記事を書いている現在*1、日本を含め世界が新型肺炎covid-19の猛威にさらされている。

 僕らを取り巻く日常は一変し、戦後最悪とまで言われる景色が目の前に広がっている。

 

 

都心に向かう電車は空席が目立ち、若者の街と言われた東京の繁華街には人影もほとんどない。

学校に行けない、仕事に行けない、友達に会えない、僕らは家に閉じこもっていなければならない。

 

おそらく、このコロナ禍が終われば今回のような異様な光景は二度と訪れないであろう。期待の意味も込めてそう思いたい。

 

そして、、

未来の僕らは、今回の災厄を振り返って何を思うであろうか?

 

ほとんど多くの人は「あ〜、あのときは大変だったよね」と昔話をするかのように語り合うことであろう。人によっては笑い話で済ませてしまうかもしれない。

 

僕は、それで終わらせてしまうのは嫌だ。

今しかないこの状況において、感じたこと、思ったことを素直に書き残しておきたい。

曖昧な記憶の中に保存するだけでは、なんとも頼りない事であると感じる。

 

 

 

最近、思い出したことがある。

僕が自宅で大学受験の浪人*2をしていた記憶である。今から6年前のことである。

 

 

当時も、高校生活と大学受験シーズンが終了して、浪人生活の第一歩を踏み出した時期であった。

朝、重い体をベッドから起こしてゆらゆらとリビングに行き、背後のテレビをBGMにゆっくりと朝食を摂る。

頭が覚めてきたらそのまま自室に向かい、本日のお勉強を開始する。

お昼ご飯を食べたらまた机に向かい、英語のリスニングや新調した問題集の解答作成に勤しむ。

 

日が傾いていくのを感じながら自室で鬱々と浪人生活を送る当時の生活は、自分の現状にとてもよく似ている。

つい最近、自室で大学での研究を行っていると、急に当時の景色が蘇ってきたのだ。

大学に入ってからは充実した毎日を送っていたせいであろう。あれほど辛い、つまらないと感じていた浪人時代の生活はすっかり頭の中から抜け落ちてしまっていたのである。

 

これは自分にとって少なからずのショックを与えた。

自分の人生を方向付け、今の僕を僕たらしめてくれたはずの大事な日々は、簡単に忘却されていたのである。心の深いところにわずかに残された「カケラ」が今回たまたま見つかったという事である。

 

嫌な記憶というのは、基本忘れてしまうものである*3

それが人間に備わった本来的な制御機構である。

 

だから仕方ない、と解釈するのも一つの手である。ただ、改めて似たような困難に直面した時、当時の経験や感情を思い出せるというのはとても頼もしいことではないであろうか。

 

自分が辿ってきた道程は、僕らが思っている以上に今の僕たちを支えてくれているはずである。

今までも、そして、これからも。

 

だから僕は、このコロナ禍において経験したことを自分の言葉で書き残しておきたいのである。それは僕自身のためでもあるし、これを読んでくれたあなたのためでもあるだろう。

 

 

 

(このブログでは、大学の研究のことや調べて気になったことなどなど、特に一つのジャンルにこだわることなく書き記していく予定である)

 

 

しがない大学院生より

 

 

*1:2020年5月8日

*2:所謂、宅浪というもの。受験産業が成熟した現代社会においてはやや珍しい存在である

*3:ソースはない。逆説的ではあるが、忘れない記憶というのはトラウマやPTSDに代表されるような「強烈な」苦痛のみであると言えるだろう